最高裁判所第一小法廷 昭和49年(あ)2628号 判決 1975年8月06日
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人和島岩吉、同高階叙男連名の上告趣意第一点は、原判決が、第一審裁判所より控訴審裁判所への記録の送付が遅延したことによる審理の遅延は被告人の責に帰すべき事由によるものではないが、本件においては、いまだ憲法三七条一項に定める迅速な裁判の保障条項に反するほど異常な審理の遅延を生じたものとは認められない旨判示したのは、憲法三七条一項に違反し、当裁判所の判例(昭和四五年(あ)第一七〇〇号同四七年一二月二〇日大法廷判決・刑集二六巻一〇号六三一頁)に違反するというのである。
そこで、所論指摘の第一審判決言渡後控訴審裁判所への記録送付までに四年一箇月を費やした原因について考察すると、本件記録及び関連記録によれば、本件は洲本市議会議員である被告人が栗田工業株式会社第二事業部長である第一審相被告人大沢文彦から一〇〇万円の賄賂を収受したとして奈良地方裁判所に起訴された事件であること、大沢は、本件以外にも、同株式会社第二事業部大阪環境衛生営業部次長中尾進と共謀のうえ、和歌山市助役田口美治喜に対し一〇〇万円の賄賂を供与したとして起訴され、奈良地方裁判所昭和四二年(わ)第二号贈賄被告事件として係属審理されていたため、本件の第一審第九回公判において、大沢に対する本件贈賄被告事件は分離のうえ右の昭和四二年(わ)第二号事件に併合されたこと、前記中尾は、さらに、同株式会社の関係者と共謀のうえ、五条市市議会議員である飯田博明ほか一名に対し二五〇万円、五条市市役所秘書課長本田勇に対し四〇万円の賄賂をそれぞれ供与したとして起訴され、奈良地方裁判所昭和四一年(わ)第二九〇号、同四二年(わ)第四号各贈賄被告事件として係属審理されていたため、前記昭和四二年(わ)第二号事件の第一審第七回公判において、中尾に対する同事件は分離のうえ右の昭和四一年(わ)第二九〇号、同四二年(わ)第四号事件に併合されたこと、昭和四一年(わ)第二九〇号、同四二年(わ)第四号事件は、二七回の審理を重ね、昭和四八年二月一九日中尾に対する有罪判決を言い渡したことが認められるのであつて、本件記録は昭和四八年二月一九日判決言渡の行われた昭和四一年(わ)第二九〇号、同四二年(わ)第四号事件の記録の一部になつたことが明らかであり、本件の第一審判決裁判所はこれら関連事件の終結をまつて本件記録を送付しようと意図したことがうかがわれる。
もとより、併合事件の一部がさきに終結し、他の一部が分離のうえさらに他事件に併合された場合であつても、さきに審理終結のうえ判決が言い渡された上訴記録の送付は、これら関連事件の審理終結をまつてするほかに方法がないとはいえないのであつて、終結記録につき写を作成するとか、あるいは、いつたん上訴審に記録送付のうえ、必要に応じて取り寄せなどの方法をとるべきであつて、本件の第一審裁判所のとつた措置はきわめて適切を欠くものがあるとはいえ、前述のとおり本件記録が他事件の記録の一部になつていたこと、本件は第一審の有罪判決を不服として被告人が控訴をしたものであるから、被告人側において審理の促進を望むならば、その旨の要望を第一審又は控訴審裁判所に申し入れをするなど積極的な行動に出ることが可能であつたのに、このような態度に出たことがうかがわれないこと、本件は第一審において事実審理がほぼ完全に終了し、証拠の散逸等によつて被告人の防禦権の行使が困難になつたとみられる格別の事情もないことなどを考え合わせると、本件においてはいまだ憲法三七条一項に定める迅速な裁判の保障条項に反する異常な事態にまで立ち至つたものとすべきでないことは、所論引用の当裁判所判例の趣旨に照らして明らかである。
それゆえ、所論違憲の主張は理由がなく、また、所論判例違反の主張も理由がない。
同第二点は、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。
よつて、刑訴法四〇八条により、主文のとおり判決する。
この判決は、上告趣意第一点について裁判官下田武三、同団藤重光の反対意見があるほか裁判官全員一致の意見によるものである。
裁判官下田武三の上告趣意第一点についての反対意見は、次のとおりである。
わたくしは、本件について、いまだ憲法三七条一項に定める迅速な裁判の保障条項に反する異常な事態に立ち至つたものとは認められないとされる点において、多数意見には同調しえないものであり、その理由については、昭和四九年(あ)第一五六三号同五〇年八月六日最高裁判所第一小法廷判決に付せられたわたくしの反対意見の趣旨を援用する。
裁判官団藤重光の上告趣意第一点についての反対意見は、次のとおりである。
わたくしは、多数意見に賛成することができない。その理由については、昭和四九年(あ)第一五六三号、昭和五〇年八月六日第一小法廷判決におけるわたくしの反対意見の趣旨を援用する。
(下田武三 藤林益三 岸盛一 岸上康夫 団藤重光)
弁護人和島岩吉、同高階叙男の上告趣意
第一点 原判決は憲法第三七条第一項に違反し、最高裁判所昭和四七年一二月二〇日大法廷判決(昭和四五年(あ)第一七〇〇号住居侵入等被告事件)の判例に違反するものとして破毀されるべきものと思料します。
一、原審判決はその理由において
(イ) 「“弁護人は原判決は昭和四三年一一月一一日に言渡され、原判決に対し、被告人から同月一九日検察官から同月二五日各控訴の申立がなされたが、原審裁判所から当審裁判所への一件記録の送付が著しく遅れ、これがため、弁護人の控訴趣意書の提出が昭和四八年二月一四日となり、この間四年三ケ月余りを経過し、控訴審の審理は事実上停止の状態に置かれた。これについては被告人に審理遅延の責はなく、憲法三七条一項に保障する被告人の迅速な裁判を受ける権利を侵害するものであるから原判決を破毀したうえ、被告人に対し、免訴の裁判をすべきである、と主張する”案ずるに、本件記録によると、弁護人主張のとおり、原審裁判所より当審裁判所への記録の送付が遅延したことにより、審理が遅延したのは、被告人の責に帰すべき事由によるものではないが、本件においては、いまだ憲法三七条一項に定める迅速な裁判の保障条項に反するほど異常な審理の遅延を生じたものとは認められないので、右主張は採用することができない。」(圏点は弁護人)
と判示されている。
(ロ) 右、理由に明らかなように「記録の送付が遅れたのは被告人の責に帰する事由によるものではない」と認めていながら、その遅れた理由が、裁判所側で何ら「正当な事由があつた」とか、「止むを得ない事由」があつたという説明もなく、またその事由のないことも明らかであるが本件は四年三ケ月何の理由もなく――審理のため遅延したというのでもないことが注目されねばならない――放置されたということになるのである。
(ハ) 今日のような目まぐるしい時代において、四年三ケ月という時間が市民生活にとつてどんな意味をもつか素直に考えられねばならぬと思う。憲法三七条「迅速な裁判」の迅速が、四年三ケ月無意味に、何の理由もなく放置されても「迅速でない」と言えるということは、国民の人権感覚を無視するものではなかろうか。
国民が裁判所に信頼をつなげるかどうかはこうした裁判所の姿勢にあるのではなかろうか。
二、(イ) 最高裁判所は昭和四七年一二月二〇日大法廷判決で
「憲法三七条一項の保障する迅速な裁判をうける権利は、憲法の保障する基本的な人権の一つであり、右条項は、単に迅速な裁判を一般的に保障するために必要な立法上および司法行政上の措置をとるべきことを要請するにとどまらず、さらに個々の刑事事件について、現実に右の保障に明らかに反し、審理の著しい遅延の結果、迅速な裁判をうける被告人の権利が害せられたと認められる異常な事態が生じた場合には、これに対処すべき具体的規定がなくてももはや当該被告人に対する手続の続行を許さず、その審理を打ち切るという非常救済手段が取られるべきことをも認めている趣旨の規定であると解する」
と判示し、更に、
「そもそも具体的刑事事件における審理の遅延が右の保障条項に反する事態に至つているか否かは、遅延の期間のみによつて一律に判断されるべきでなく、遅延の原因と理由などを勘案して、その遅延が止むを得ないものと認められないかどうか、これにより右の保障条項がまもろうとしている諸利益がどの程度実際に害せられているかなど諸般の情況を綜合的に判断して決せられなければならないのであつて、たとえば事件の複雑なために、結果として審理に長年月を要した場合などはこれに該当しないことはもちろんであり、さらに被告人の逃亡、出廷拒否または審理引延しなど遅延の主たる原因が被告人側にあつた場合には被告人が迅速な裁判を受ける権利を自ら放棄したものと認めるべきであつて、たとえその審理に長年月を要したとしても迅速な裁判をうける被告人の権利が侵害されたということはできない」
と判示されている。
(ロ) 本件は右最高裁判決が判示されるように、「事件の複雑なために審理に長年月を要した場合」にも該当しないし、「その遅延がやむを得ないものと認められない」し、「被告人が迅速な裁判を受ける権利を自ら抛棄したと認められる場合」に該当しないことは原審判決に於ても明らかに「審理が遅延したのは被告人の責に帰すべき事由によるものではないが……」と判示されていることからも明らかである。
右最高裁判決は、「遅延の期間のみにより一律に判断されるべきではなく遅延の原因と理由などを勘案して、その遅延がやむを得ないものと認められないかどうかこれにより右の保障条項がまもろうとしている諸利益がどの程度実際に害せられているかなど諸般の情況を綜合的に判断して決せられなければならないのであつて……」
と判示されているが本件はまさに之に全面的に該当するのである。
さきにも述べたように、今日の世の中で、社会的に活動する市民が四年三ケ月無意味に何の理由もなく被告人の座に置かれることがいかに苦痛であるか、その人権が無視されていることを意味するのである。
この苦痛を自らの苦痛として裁判所の人権感覚がとらえる時、はじめて国民は裁判所に信頼できるのである。
三、憲法三七条一項の迅速な裁判の解釈運用はわが国においては余りにもその精神が骨抜にされて来た感がある。
同じ法系で現行法の母法と見られるアメリカにおける裁判の実情、殊に最近のウオーターゲート事件の裁判所の処理の「迅速で公平」を思わせる処理を見る時思い半ばに過ぎるものがある。
こゝに取上げた最高裁大法廷の昭和四七年一二月二〇日の判例はたしかに憲法三七条一項に生命を付与されたものと評価される。之を特殊例外なものとされてはならない。「四年三ケ月」ではと軽くいなされては日本人が自らの人権を軽視することになる。
本件において更に一歩前進の気魄を示し――前記判例の適用範囲と信ずるが――免訴の判決が為さるべきであると思料する。<以下省略>